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水戸天狗納豆

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水戸天狗納豆の歴史
当社が納豆を一般販売するまでの苦労や、全国的に知られるようになるまでの秘話の全てが解るかも?

水戸と納豆との関わり
現在から2300年余りもさかのぼるといわれる納豆の歴史。関東以北では武士の棟梁・八幡太郎義家の伝説が数多く残っている。永和3年(1083)、奥州平定に向かう八幡太郎(源)義家の軍勢が常陸国で宿営し、義家は宿駅の駅長だった渡里の里(水戸市郊外)の一盛長者の屋敷に泊った。この時、家来が馬の飼料に作った煮豆の残りを藁で包んでおいたら、煮豆は自然に発酵して糸を引くようになっていた。ためしに家来が食べてみると、これが実にうまい。そこで義家に献じたところ、大変喜ばれた。以来、将軍に納めた豆という意味で“納豆”と名付けられ、近郷の農家に広まった。
▲一盛長者伝説地


また、明暦3年(1657)には黄門・徳川光圀が、有事に備えての備蓄食料としてそばや梅干しとともに、納豆の製造を勧めている。水戸藩の食膳にも載せられていたそうです。


水戸天狗納豆の創始者 初代 笹沼清左衛門
水戸“天狗納豆”の始祖は、初代笹沼清左衛門で、安政元年(1854)水戸郊外の吉田村米沢郷(現水戸市米沢町)で生まれました。彼が、古文書に「江戸で好んで食べるものに絲引き納豆と言うものあり」と記してあるのに注目したことから始まりました。

明治17年(1884)納豆の商品化を思い立ち東北仙台地方で製造技術を学び、そして技術者阿部寅吉を伴い水戸へ帰りました。その後、幾度も失敗を繰り返しながらも様々の研究を重ね、ついに独自の製法で絲引き納豆を商品化することに成功しました。

明治22年(1889)水戸線開通の年、水戸市柵町(現在地)で創業しました。天狗のような立派な商品、そして、水戸の地に由緒深い天狗党の名に因み“天狗納豆”の商標で売り出しました。 


▲水戸天狗納豆の創始者
初代 笹沼清左衛門
  折しも水戸駅開業と水戸の市制施行の賑わいのなか、家計を支えるための納豆売りの少年達の手によって駅前で売られるようになると水戸のお土産として観光客や旅行者の皆様の好評を得て、小粒で柔らかく、独特のわらの香りで、水戸“天狗納豆”の名は全国に広まることとなりました。

大豆を原料にした日本を代表する加工食品、“納豆”その起源は、遠く弥生時代頃には発生したと考えられます。また一方では、なら時代に中国から伝来したとも伝えられています。


小粒の大豆が「水戸天狗納豆」の特徴
水戸の納豆が有名になったのは、茨城が小粒大豆の産地であったこともあげられる。小粒大豆は極早生で3カ月で完熟し、台風による洪水前に刈り穫れる便利さがあった。昔から鹿島地方や那珂川流域で栽培され、台風や水害等にも強い品種の「小粒大豆」を用いたことが、今日の“水戸納豆”の風味づくりに結びついたと言えるでしょう。

▲大豆畑


水戸の観梅と納豆売り
明治22年、水戸駅開業に合わせて駅前広場で藁苞納豆を売り出した。売り子は近在の少年達で、リアカーに山と積まれた“天狗納豆”は、乗降客の間でたちまち評判になったという。やがて昭和11年、鉄道弘済会との契約により、駅のホームでの本格的な販売が始まる。水戸の納豆が偕楽園の梅と肩を並べる名物となったのは、この時からといってよいでしょう。
▲偕楽園の梅

地元町内向け販売
(明治末〜昭和初期)
六街道五里(20m2
四方への販売
(昭和初期)
上りホーム立ち寄り
(明治末〜昭和30年代)


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水戸天狗納豆(株)笹沼五郎商店